島根県江津市。”東京から一番遠いまち”とも呼ばれている地方都市が、先日VRChatにやってきました。
「島根県江津市 石見神楽『大蛇』」――大丸松坂屋百貨店が中心となって制作した、伝統芸能・石見神楽の再現ワールドです。
江津市で活動する本物の担い手の動きを記録した神楽舞を、いつでも鑑賞できる類を見ない本ワールドは、公開直後から来訪者が続出。現在は1万アクセスを突破しており、地方自治体発VRChatコンテンツとして幸先の良いスタートを切っています。
そんなハイクオリティで前例がほぼないワールドは、どのようにして生まれたのか。メタカル最前線は、島根県江津市の担当者・FUKUさんに単独インタビューを実施。VRChatに石見神楽を再現する、前代未聞のプロジェクトの舞台裏をお聞きしました!
「東京から一番遠いまち」――島根県江津市って、どんな町?
――まずは、島根県江津市の基本的な情報を教えてください。
FUKU 江津市は、島根県の西側、石見地方にある市です。人口は2万人前後で、全国の地方自治体と同じように、人口減少が著しい町です。
かつては、日本三大瓦のひとつ・石州瓦で有名でした。町の東側が工業地帯で、大きな工場も建っています。西側は日本海側沿いなので、海や温泉などを有する観光地となっています。
市の魅力は、日本海に面した立地ですね。海産物は新鮮でおいしく、野菜やお肉もおいしいです。取れる量の都合から、地産地消の文化が息づいています。
――FUKUさんご自身も江津市出身ですか?
FUKU 私は東京から出向した移住者です。東京のIT会社に勤めていました。
――どのような経緯で江津市へやってきたのでしょうか?
FUKU 会社がテレビ東京さんといっしょに、地方創生に取り組み始めたのがきっかけです。私自身も地方創生に関心があったので、担当者募集が始まった際に立候補し、江津市にやってきました。現在は、赴任して3年目くらいです。
赴任後、地元の人は気づいていないけど、外から来た人には魅力的に映るものが、江津市にはたくさんあることに気づきました。そんな埋もれた魅力を首都圏の人たちにも届けるべく、プロモーション活動に勤しんでいます。
――江津市さんには、”東京から一番遠いまち”というキャッチコピーが掲げられていますよね。あのキャッチコピーはどのような経緯で生まれたのでしょう?
FUKU もともとは高校の教科書に載っていたフレーズです。そこからクイズ番組などにも引用されていき、有名なフレーズになっていきました。ただ、実際に計測すると、一番遠いわけではないらしく……(笑) なので、”東京から一番遠いと呼ばれている”としています。
キャッチコピーとしては有用なので、テレビ東京の番組「田村淳のTaMaRiBa」にて、ここをキーポイントとした地方創生企画が立てられました。今回の石見神楽プロジェクトは、この一環で実施されたものです。
“かっこいい神話”を描く。地元に愛される伝統芸能・石見神楽
――このプロジェクトの主役、石見神楽とはどのような伝統芸能なのでしょうか?
FUKU 石見神楽は、日本神話などに記されている、国興しを題材とする神楽舞です。
出雲大社で有名な出雲市がある島根県は、「因幡の白兎」や「ヤマタノオロチ」といった伝承も根強く残っている地域です。
この地域に根づいた石見神楽の骨子にあるのは、神様への奉納であると同時に、見ている人たちを楽しませるために、エンターテイメントとして発展させた舞踏です。
――神事というより、「地元のお祭り」に近いものとして受容されているのでしょうか?
FUKU その通りです。演目の内容も、日本神話の中でも「草薙の剣」などが飛び出す、ファンタジックでかっこいいものが多いです。古代の伝承が好きな人には間違いなく刺さります!そして演出もド派手なので、演芸として誰でも楽しめるのが特徴です。その代表例が、今回VRChatに再現された演目「大蛇」ですね。
――石見神楽はどのような人たちが担い手となっているのでしょうか?
FUKU 「社中」と呼ばれる、神楽を舞う団体が中心的な役割を担います。そして江津市は2万人程度の都市にも関わらず、石見神楽の社中は市内に10以上、同好会も合わせれば20は存在し、多くの人たちが担い手となっています。
驚かされるのは、現地の子供たちにも人気なことです。子どもたちに好きなものを聞くと、アンパンマンや仮面ライダーに並んで、石見神楽が出てくるほどなんです。
――子どもたちにも人気なのはなぜでしょう?
FUKU お父さんやお兄ちゃんなど、身近にいる人が取り組んでいることも大きいですね。自分のお兄ちゃんたちがすごい派手な衣装を、演目ごとに次々に着替えて、勧善懲悪のような大立ち回りを披露しているのを見ているんです。
――身近な人が大活躍しているのを目の当たりにして、いずれは自分もやりたいと素直に思える環境があるのですね。
FUKU そして大人たちの間でも愛されています。石見神楽は伝統芸能ですが、地元ではお酒を飲みながら見る文化が根づいています。たっぷりとお酒を飲み、つまみを食べながら楽しみ、時には経験者が称賛やダメ出しを飛ばす場面もあるほどです。
――伝統芸能と聞くと少しおカタいイメージもありますが、そのお話を聞くとイメージが大きく変わります。大人にも子どもにも愛される文化として根付いている石見神楽は、まさに地元のエンタメなのですね。
FUKU そのくらい、地元に根づいて愛されてきた文化なので、これまでも全国ツアーなど、プロモーション活動に力を注いできました。
一方で、江津市でも人口減少が起きています。神楽を舞う人たちはまだまだ現役ですが、担い手は着実に減っているのが実情です。
しっかりとプロモーションを展開しているのにこの状態なので、私は知名度アプローチの仕方を変えたほうがよいのかなと考えました。よく考えると、日本全国を旅行するのが好きな自分ですら、赴任するまで江津市も石見神楽も聞いたことがなかったんですよね。
決め手は「松坂屋コレクション」。衣装からスタートした、伝統芸能のメタバース化
――そうした気付きから、今回の石見神楽メタバース化プロジェクトが始動したのだと思います。そのパートナーに大丸松坂屋百貨店を選ばれたのはなぜでしょうか?
FUKU DX推進部のDM-Redさんが、先ほど挙げたテレビ番組の一環で江津市に来ていただいたことがきっかけですね。私は生まれは大阪なので、大丸はもともと知っていました。
とはいえ、どちらかと言えば呉服屋や百貨店のイメージが強かったです。しかし、DM-Redさんからこれまでの取り組みを伺う中で、3D衣装化した「松坂屋コレクション」を知り、非常に出来がよいなと感じたんですよね。
私もIT畑出身ですから、これほどのものを作る苦労はすぐに察せられました。そして、そこまでの情熱を持つ人たちなら、石見神楽の衣装も再現できるのでは……?と考えたんです。
そこで、私から「衣装のメタバース化」について打診させていただきました。
――今回の3D衣装は、作り込みの質感がポイントですね。率直に言って、非常にクオリティが高い。
FUKU 自分も、これが販売されていたら3000円は余裕で支払えると思いましたね。

――しかし、この衣装は無償配布ですよね。なぜそこまでの大盤振る舞いを……?
FUKU この衣装自体が社中より無料で貸与いただき、かつ利用許諾条件を「メタバース上限定で」としているのもあるためです。
とはいえ、この3D衣装を誰かに着ていただいて、VRChat内で「この衣装ってどこのもの?」「島根県江津市の石見神楽の衣装だよ!」と言ってもらえれば、その時点でシティ・プロモーションとしては成功です。海外の方にも刺さるデザインだと思いますし、ぜひこの衣装を着てVRChatで練り歩き、島根県江津市の名を広めていただければうれしいですね。
――そこから、衣装の3D化だけでなく、石見神楽のメタバース化まで取り組んだのは、どのような経緯があったのでしょうか?
FUKU DM-Redさんから「伝統芸能もメタバース化できますよ!」とご提案いただきました。私は「モーションキャプチャーとか大変ですよね」とお伝えしつつも、大丸松坂屋百貨店さんの技術ならできるとうかがったので、ご提案に乗ろうと考えました。
とはいえ、ただやるだけでは面白くない。そこで、5月末の大阪・関西万博への出展で披露できたらと考えました。海外に向けて江津市と石見神楽をPRできますし、大丸松坂屋百貨店にとっても技術PRができる。三方よしな企画になりそうだったので、テレビ東京さんのバックアップもいただきつつ、全国でもおそらく初となる「伝統芸能のメタバース化」に挑みました。
地元の人にも新鮮な「舞台上からの観覧」。メタバースだからこそできる伝統芸能の形
――VRChat版の石見神楽「大蛇」の魅力はどのようなものですか?
FUKU 一つ目は、中の人がいないこと。本来の演目では当然、ヤマタノオロチを演じる人が存在します。しかし、メタバースならば、中の人を消すことができます。まるで本物のヤマタノオロチのように見せる舞台は、メタバースだからこそできることです。
二つ目は、屋内でも火を使えること。現実の石見神楽では、屋外での公演では花火を使うことはありますが、当然ながら室内ではできません。今回、VRChatに再現した石見神楽は屋内の公演ですが、ヤマタノオロチがたくさん火を吹いています。これもメタバースならではですね。
三つ目は、舞台の上に上がることができること。これは地元の人に見せた時にもいただいた感想なのですが、舞台の上で見る神楽はすごく新鮮なんですよね。現実の上演では、観客が舞台に上がることは絶対できないので。
何度も石見神楽を見た玄人でも「しっかり動きが再現できてる」「スサノオってこういう動きでやってたのか」「見えないところでもこんな演出があったのか」といった感想が出てくるほど、新たな楽しみ方を提供できていると思います。
そして、「いくらでも再演できる」ことも間違いなく強みですね。尺の都合で省略せざるを得ないところもありましたが、普段から神楽を見ている地元の方からはとてもよい評価をいただいています。
――地元でたくさん見ている人からも面白いと感じてもらえたのはすごいことですね。そして、地元の人たちの追体験がメタバース上でいつでもできるのは大きなポイントです。あと、お酒を飲みながら見る習慣も、VRChatユーザーと相性が良さそうですね。
FUKU それでいうと、音圧が再現できていないのは課題ですね。
――音圧、ですか?
FUKU 石見神楽は、重低音の太鼓や、低い声による口上も特徴なのですが、その音圧はすさまじいものです。それを浴びながらお酒を飲むと、トランス状態に入るんですよ。それはもう、びっくりするほど酔いが回ります(笑)。なので、江津市には酒飲みも多いんですよ。
――それは……VRChatユーザーの移住先として最適かもしれませんね!(笑)
FUKU 交通の便は悪いですけどね。空港から1️時間ぐらいはかかる立地なので、定住するにはピッタリなのですが。なので、物理的な距離を縮める取り組みも重ねていきたいですね。
――「”心理的には”東京から一番近いまち」にまで進展していくといいですね!
「メタバースって何?」を、どう突破するか
――今回の石見神楽メタバース化にあたっての、こだわりや苦労をお聞かせください。
FUKU こだわりは、モーションキャプチャーを江津市現地で実施したことですね。
石見神楽の社中は10〜15人ほどの規模です。仮に都内で収録をする場合、移動や宿泊のコストがとてもかさみます。しかし、担い手がいる現地にスタッフを派遣してモーションキャプチャーを実施すれば、コストを大幅に削減できます。その実証ができただけで、今回の取り組みには大きな意味がありますし、伝統芸能を持つ全国各地へのアピールポイントとして機能するはずです。

FUKU 苦労したのは、石見神楽の社中の方々に「メタバース」とはなにかを説明することでしたね。江津市にはメタバースをやったことがある人は全然いなかったので、企画を通すのに苦労しましたし、社中の方々への説明や、「権利はどうするのか」といった調整をするのも、とんでもなく大変でした。
――そうした方々を説得する際の決め手はなにかありましたか?
FUKU 一つは大丸松坂屋百貨店さんのネームバリューです。そしてもう一つは、私がシティ・プロモーション担当として東京からやってきた人間だったので、突拍子もないことを言っても話が通りやすかったことです。
そして、社中の方々の前向きな姿勢も大きかったです。東京から来たばかりの私に良くしていただき、今まで取り組んだことのないことに対しても「やってみよう!」と言ってくれたことが、今回の企画をすすめるにあたって大きかったと思います。
――こういうお仕事をする上でも、やはり「日頃のお付き合い」ってものすごく大事なんですね……
FUKU とはいえ、今後こうした企画を全国展開する上で、ノウハウも私の中に蓄積されたのは大きな成果です。これを機に、大丸松坂屋百貨店さんとも連携して、他の自治体さんとの問い合わせに対してフィードバックができたらいいですね。
メタバースで暮らしている人の大半は、伝統芸能を見る機会はあまりないと思います。そんな人でも、メタバース上で友達としゃべりながら、お酒片手に伝統芸能を見るのは、エンタメとして受け入れられるはずです。そういった形で伝統芸能に触れ、知る機会を創出していく、新しい伝統芸能の継承ビジョンを示していきたいですね。
――それこそ、全国各地の伝統芸能が、メタバース上で全部体験できると理想的ですね。
FUKU 他の国の伝統行事も再現できるはずですからね。世界中の伝統芸能が全部メタバースで見ることができるワールドって、すごい素敵だと思います。そうしたワールドに特産品リンクなども設置すれば、地域の特産品を片手に、伝統芸能を見る暮らしも実現できると思いますね。
メタバースの魅力を伝え、人口を3倍に!
――今後、石見神楽メタバースプロジェクトはどのように発展していく予定でしょうか?
FUKU まず、いろいろな人に知って、見てもらうためにも、大丸松坂屋百貨店さんとともに広報・PRに注力します。SNSやYouTube活用はもちろんですが、今回のような取材をお受けすることで、認知度向上につなげていきたいですね。
展望は3つほどあります。まず、今回は「大蛇」を再現しましたが、そもそも石見神楽には20以上の演目があります。そして、社中はそれ以上の数があります。なので、それぞれの演目を、多くの社中に再現いただき、「様々な社中による石見神楽」を一挙に体験できる、石見神楽ワールドができたらいいなと考えています。
二つ目に、同じくメタバース導入実績のある他地域の行政との連携もしてきたいですね。その時には行政目線だけではない、VRChatやメタバースが好きな人に向けたサービス、コンテンツを展開していきたいです。
3つ目は個人的な展望でもあるのですが、メタバース上の人口を3倍ぐらいは増やしたいですね。プラットフォームやデバイスの課題もありますけど、そもそもメタバース自体がとても魅力的な世界なんだと、まだ触れていない人たちに発信していきたいです。そのために行政を、ひいては国を巻き込んでいきたいですね。
――地方創生のご担当者として、メタバースの人口を3倍に増やす上でのポイントはどのようなものが考えられますか?
FUKU 自分でVRChat内でアンケートなどを行ってわかったのは、いまVRChatを始めた人たちは、スタンミさんなどのインフルエンサーが多いことです。有名な人が楽しそうに遊んでいたから、始めた人がたくさんいるんです。
もちろん、ただインフルエンサーを起用するのではなく、「VRChatって本当におもしろいよね!」と発信できる人を起用するのがカギです。心から楽しんでいる人たちの声を発信できれば、人口はたちは自然と増えるんじゃないかと思います。少なくとも、1.5倍くらいは簡単に増えるはず。3年後には3倍にしたいですね……!
――そのカギの一つが、国や行政になる可能性は十分あると思います。石見神楽ワールドとともに、より多くの人がVRChatに訪れることを願っております!
担当者といっしょに見る石見神楽
最後に、FUKUさんといっしょにVRChat版石見神楽を鑑賞しました。インタビュー実施時はワールド公開はもちろん、先行お披露目イベントも開催前。もちろん、筆者もこの時が初めての鑑賞でした。

とにかく驚かされたのは、生の人間の動きが眼前に現れること。勇壮なスサノオの剣舞に、寝込むヤマタノオロチの動きなどが、とてもリアルです。FUKUさんも「スサノオの腕の振り方が本当にそのままで。よくこのモーションを再現できたなと感心しています」と興奮した様子。
ちなみに、このワールドの舞台上にいるヤマタノオロチは8頭ですが、実は現実側の公演では4頭程度が最も多いのだそう。理由はスペースの問題。「8頭もいる『大蛇』は年に1回見れるかどうかです」とはFUKUさん談。それはレアだ……!

ヤマタノオロチが火を吹くシーンは迫力満点!そして舞台に上がれば、スサノオがもがく姿を見ることができるのもVRChatならでは。これを利用したフォトコンも先日まで開催されていました。
インタビューにもあった通り、この「大蛇」はいわばダイジェスト版。かなり省略されている部分があります。それでも、太鼓囃子に合わせて舞うスサノオとヤマタノオロチの対決は、特撮ショーのような駆け引きも垣間見えて、純粋に見て楽しいと感じられます。

これを24時間、世界中どこからでも再生できるのは大きなポイント。VRChatで鑑賞できる没入型映像コンテンツとしても、「生の人間の動き」が盛り込まれたものはめずらしいため、その意味でも唯一無二なコンテンツです。
FUKUさんは、「できれば神楽舞を舞う神社も作って、そこで石見神楽が見れるといいですね。そうすれば、海外の方もより訪れて楽しい場所になるはずです」と、舞台を眺めながらさらなる展望を語ってくれました。いわば「本物の日本」を、光景だけでなく動きも体験できるワールドは、海外ユーザーには貴重です。
メタバースに再現された石見神楽には、まだまだ進化のポテンシャルがある――そんな手応えを初見でも感じられる舞台は、現在も24時間”上演待ち”です。ぜひご鑑賞ください!