VRC〈ブイチャ〉で映画を撮る前に… 【第7回】最高の敵キャラクターとは何か? その③

映画プロダクション「カデシュ・プロジェクト」代表のだめがねさんのVRChat映画制作するために必要なことをまとめた連載企画。第7回では、第5回から続いてきた敵キャラクターの作り方の完結編です。

7.映像作品作りの前に────敵を作ろう その3

今回は、第5回から連続でお届けした「敵キャラクター創り方」のラストです。主に三部作の三作目や、年月を経て制作された続編における敵キャラクターの作り方についてご紹介します。

(1)主人公が「戦い疲れている」場合の敵キャラクター造型

敵キャラクター創りの3つ目は、主人公が長い戦いの果てに疲れ果て、主人公=ヒーローを辞めようと考え始めているパターンです。この場合の敵はずばり、「主人公もしくは主人公にとって身近な人間の、過去の失敗で生じた敵」が最適です。その目的は、「主人公は本当に英雄となる資格があったのか」を問うことです。

そのために、主人公たちの後ろ暗い側面にスポットライトを当てるのです。1作目で英雄となり、2作目で後悔を振り切った主人公は、過去の失敗を清算することであらゆる因縁や利害関係から解放された「純粋で完全な英雄」となります。このように、映画の三部作は主人公を英雄として洗練させてゆくプロセスと見ることが出来ます。

しかしながら、こういった事情から三部作の3作目は興行的に上手くいかない場合が多いです。1作目の新鮮な衝撃も、2作目のような巨悪を打ち倒すカタルシスもないからです。ですが、物語としては非常に重要なパートを占めているため、「わかる人にはわかる」名作になることが多いです。このケースも、実際の作品を通じてセオリーを学びましょう。

(2)ケーススタディ:ロッキー3(シルヴェスター・スタローン監督/1982)

本作は、結局6作にわたって続きスピンオフも制作された『ロッキー』シリーズの、本来最終作になるはずだった映画です。ロッキーは言わずと知れたボクシング映画で、主人公はロッキー・バルボアというヘヴィー級のボクシングチャンピオンです。この作品で戦うのはクラバー・ラングというボクサーですが、彼自身にはロッキーとの因縁はありません。しかし、ラングは凶暴で強力な新鋭ボクサーであり、彼に目を付けられたことでキャリアの下り坂に差し掛かったロッキーは大ピンチを迎えます。そして、ラングがロッキーに目を付けた理由は「ロッキーは弱い奴ばかりを狙って試合を組んでいる」であることが明かされます。当然ロッキーは反論しますが、ロッキーの専属トレーナー・ミッキーから、これは事実であったことが明かされます。ミッキーはロッキーを守るため、格下相手の試合だけを組んでいたのです。

これは明確に「主人公にとって身近な人間の、過去の失敗」であり、その結果ロッキーは主人公としての資質に疑問符を付けられることになります。このラングからの挑発を通じてロッキーは自分のボクサー人生を見直すこととなり、新たなファイトスタイルを手に入れてラングをマットに沈めます。最後は人知れず1作目の強敵・アポロとのリターンマッチへ挑み、作品は幕を下ろします。

ちなみに、『ロッキー』シリーズで敵となるボクサーは、1作目のアポロ・クリードを除いてほぼ全員が何故か非常に高飛車で粗野なイヤな奴です。これには明確な作劇上の意図があると筆者は考えます。それは、「ロッキーに気持ちよくぶちのめしてもらうため」です。観客がエキサイトできる戦いは「主人公が文句なしの大活躍をするバトル」もしくは「主人公に負けないぐらい魅力的なライバルとの接戦」ですが、2時間という尺の中でロッキーに加えてもう1人のボクサーの人となりまで充分に描くのは非常に難しいです。従って強力なライバルを演出するのは難しく、であれば…とロッキーの当て馬として気持ちよく負けてもらえるようなキャラクターを置いているのではないでしょうか。

少し話が脱線しましたが、『ロッキー3』は過去の失敗から生じた敵を使って見事に主人公の英雄性を再証明している好例と言えるでしょう。

(3)主人公が直接的には戦わない話の場合 

ここまでを読んで、疑問に思った方もいらっしゃるはずです。「自分の作りたい作品はどのパターンにも当てはまらない」…と。おっしゃる通り、世の中の名作は英雄が主人公のバトルものばかりではありません。敵がモンスターや災害であったり、あるいはそういった明確な対立構造のない人間ドラマがメインの場合もあります。

しかし、「対立を全く含まないドラマ」というのはあり得ません。ドラマとは感情の起伏なので、必ずプロットの進行を阻む存在が現れます。そのため、物語性のある映像作品を作るのであればいずれにしろ必ず「敵(主人公にとっての壁)」を作らなければなりません。そのため、最後にどのパターンにも共通する壁の作り方をご紹介します。それは、「主人公の課題=望みを叶えることを妨害する存在」を敵とすることです。まったく当たり前のことに思えますが、これが分かっているか否かでプロット制作の難易度がまるで変わります。

第3回でご紹介した三幕構造に照らせば、第二幕のラストで主人公を一度壁にぶつけて挫折させ、三幕でそれを乗り越える必要があります。これは大概の映画に共通するセオリーですが、主人公にとっての「壁」が見えていなければ展開を考えることもできません。

バトルがある映画の場合はそれが明快な敵キャラクターとなって現れてくれるので良いのですが、こと人間ドラマの場合はそれを見失いがちです。例えば、『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(ガス・ヴァン・サント監督/1997)では、主人公ウィルの本当に願いは自分を許し、孤独から解放されることです。そして、それを阻む最大の敵は他ならぬ自分自身でした。そのため、ガールフレンドのスカイラーを本心ではないのに振る「悪の自分自身の発露」を第二幕に持ってきています。あの瞬間、ウィルは自分自身に負けたのです。

このように哲学的で入り組んだ展開をゼロから考えるのはかなり大変ですが、主人公にとっての壁をしっかり理解し、しかるべきタイミングでそれに敗れさせる三幕構造への理解があればこういったプロットを組むこともできます。もし敵が誰なのか分かっていなければ、見当違いにロビン・ウィリアムズ演じる心理学者との対立に持って行ったり、ベン・アフレック肯んじていた主人公の親友との対立を描いてしまうかもしれません。

「主人公の課題=望みを叶えることを妨害する存在こそが物語における敵」──このことを忘れずに、キャラクター造形やプロットの執筆を行ってください。

おまけ:こりゃ悔しい!のコーナー

コラムの最後に、筆者が「こりゃ悔しい!」と感じたまだ見ぬ名作VRChat映像作品をご紹介いたします。

第7回:悍(おぞま)(DENKINEL監督/2023)

本作は第2回VRCムービーアワードに出展され、最も熾烈な競争となった長編作品賞へノミネートされたホラー作品です。丁寧に撮影されたリアルな質感の映像が見どころで、モキュメンタリー調の編集に見入ってしまいます。監督はホラー好きとして知られており、その知見が大いに生きた作品であると言えます。今日フィーチャーしたいのは、この「好き」という感情についてです。

映像作品に対する「好き」には、いろいろな度合いがあって良いと思います。テレビで一瞬観て気に留まったから好きというところから、人生を変える1本というところまで、「好き」の形は人それぞれです。それらは全て等しく、否定されて良いものではありません。ですが、自分の好きなジャンルを映像作品にして人に伝えようとするとき、生半可な「好き」の掘り下げでは作品の魅力が観客へ伝わらないと筆者は考えます。

あなたは、自分の好きな作品のことを、ジャンルのことを、どれだけきちんと知っているでしょうか?

自分の「好き」を周囲にしっかりと伝えるには、思っている何倍もの語彙が必要です。そして「好き」の語彙を身に着けるには、自分がなぜその作品が好きなのか?そのジャンルの作品を作りたいのか?という徹底した自己対話が不可欠です。よく「好きな映画は暗唱できるぐらいまで繰り返し観ろ」といったことをおっしゃる方がいらっしゃいますが、それらは全てこの「好きを突き詰める」過程の結果論だと思います。

好きなものを趣味で作っているのだから、好きなようにやらせてほしい。それは、その通りです。でも、その「好き」が受け手にちっとも伝わってないとしたら…それはとても残念ではありませんか?わざわざ大変な労力をはらって映像作品を作るのですから、自分の撮りたいジャンルの類似作品をしっかり研究し、手抜かりなく全力で「好き」を訴えたほうが良いでしょう。

決してクオリティの面で他者との競争に勝てということではありません。自分の中で、「好き」な気持ちにきちんと向き合ったものを作っていきたいものです。

ABOUT US
だめがね
2020年、VRChatを開始。VR空間での映像撮影に可能性を見出し、クリエイターチーム「カデシュ・プロジェクト」を結成。 同スタジオの代表を務める傍ら、デザイナーとしても活動する。映画監督としての代表作に『プロジェクト:エメス』『掌』、 アートディレクターとしての代表作にVRChatワールド『Tokyo Mood by BEAMS』がある。