VRC〈ブイチャ〉で映画を撮る前に… 【第1回】 VRChatで映画を撮る意味はあるのか?

映画プロダクション「カデシュ・プロジェクト」代表のだめがねさんより、VRChatでの映画制作についてのコラム連載を寄稿してくれることになりました。VRChatでの映画制作だけでなく、作品を完成させるまでの道のりや、映画制作以外の創作活動にも役立つヒントが満載です。
第1回では、コラムの目的と「情熱」について語られています。

はじめに

VRChatには、様々な創作物がひしめいています。アバター、ワールド、それに音楽…枚挙にいとまがありません。そして、どのジャンルの創作物にもVRChatならではの魅力、敢えてVRChatで作る理由があります。近年、ここに新しいジャンルが加わったように思います。「映像作品」です。VRChat黎明期から、ゲーム内で映像作品を撮影しようという試みは散発的にありました。また、もっと広い括りでは、ゲームエンジンを使った映像作品制作は既に「マシニマ」という名前で1ジャンルとして確立されています。しかしながら、いまVRChatほど3DCGアニメーションの自主制作が活発な環境は類を見ないでしょう。2022年に始まった「VRCムービーアワード」には、毎回60本近い映像作品が集まるといいます。そんな特異点とも言える環境だからこそ、考えてみたいことがあります。私たちはなぜ、敢えてVRChatで映像を撮るのでしょうか?

身近であったから、手軽にモーションキャプチャができるから、UnityやBlenderのアニメーションは敷居が高いから…人によって色々な理由があると思います。ですが、「映像を撮るにあたって、VRChat“でなければならない”理由」はおそらく存在しません。VRChatで撮る映像は、手軽さにおいてUnityに、レンダリングにおいてはBlenderに、誇張・戯画的表現においては手描きアニメに劣ります。よしんば果てしない研鑽の末にそれらに並ぶことができても、それらの専門的な制作環境の代用品であることには変わりません。それは妥協だという、厳しい指摘をすることもできるでしょう。

では、VRChatで映像作品を作る意味はないのでしょうか?私はそうは思いません。ここで映像作品を作ることには、唯一無二の魅力があります。それは、他の人とごく身近な距離で一緒に作れることです。この「一緒に作る」とは、必ずしも制作プロセスで他人の協力を得ることだけを指していません。映像作品を作るにあたってのスタンスは人それぞれです。全ての工程をひとりでやりたい方もいらっしゃるでしょう。ですが、作品は他者に見てもらうことで初めて完成します。つまり、身近に観客がいてくれることもまた「誰かと一緒に作品を作る」ことだと私は考えます。

作る仲間も身近、観客も身近。それは言ってしまえば馴れ合い、ごっこ遊びにも近い環境です。ぬるま湯とも言えるでしょう。ですが、どんな天才も最初は「クラスで一番●●が上手い子」から始まったはずです。果てしない高みを知りながらストイックに戦えるほど、人は強くありません。一方で、そういった「天才を育てる苗床」は、全てを可視化するSNS時代になって残念ながら失われてしまいました。野球をやるなら大谷翔平選手と、漫画を描くなら尾田栄一郎先生といきなり勝負しなくてはいけない世界です。

しかしながら、VRChatは私たちに「クラスで一番」になる機会をもう一度与えてくれます。ここは「ソーシャルプラットフォーム」、つまり同じ嗜好を共有する人が集まる空間です。そこでのコミュニケーションの形が、言葉でなく作品であってもいい――小さなコミュニティであっても、勇気を持って作品を作り、発表した経験は必ず糧になります。

井戸の外があることを知っているなら、まずは井の中の蛙でも構わないではありませんか。誰しも人生で一度は、何かの先頭に立つ経験を与えられるべきだと私は考えます。VRChatでの映像制作は、あなたにその機会を与えてくれるかもしれません。

そういった気持ちから、今回はメタカル最前線のページを頂いて、これからVRChatで映像作品を制作してみたい方へ向けたコラムの筆をとることにしました。本コラムでは、映像制作初心者に向けた視点から、VRChatでの映像制作――特に、PVやMVよりはストーリー性を持った映像作品、映画――に必要な準備や工程について、私の知っていること、経験したことをお伝えしたいと思います。ハウトゥの開示は、見ようによっては自分の方法論でシーンを塗りつぶそうとする侵略行為です。売名と言っても良いかもしれません。しかしながら、いまだ黎明期にあるVRChatでの映像制作において、これまで体系化されたハウトゥというのは存在しませんでした。その結果として有望なクリエイターが挫折してしまうぐらいなら、たったひとりの乏しい経験であったとしても、開示する意味があると考えます。

前置きが長くなってしまいましたが、次章からはVRChatでの映像制作を主に「撮影前」「撮影中」「撮影後」の3つの段階に切り分けて、それぞれに必要なことをご説明します。

1.映像作品作りの前に――作品制作で一番大事なこと

みなさんには最初に、残念なことをお伝えしなければなりません。それは、「映像制作はとても大変で、時間がかかり、頓挫しやすい」ということです。特に本コラムで扱うストーリーを持った映像作品は制作難易度が高く、総合芸術として憧れを集める一方、多くのクリエイターの心を折ってきました。

だからこそ、映像を作るにあたってはどんな創作理論、どんなツールにも増して絶対に必要なものがあります。それが「情熱」です。いきなり精神論かと落胆する方もいらっしゃるかもしれません。ことにVRChatでは嫌われがちな論ですが、映像作品を作るうえでは意外にも情熱こそが最大の鍵になります。これから観客・作り手の2つの目線を通じて、その理由をご説明いたします。

(1)観客にとって最も大事なこと

観客にとって、映像作品で最も重要なポイントは一体なんでしょうか?それはずばり、「その作品が面白いかどうか」でしょう。では、面白い作品の条件とは?これは人によりますから、一概に定義するのは難しそうです。ここでは、「つまらない作品」が生まれる過程から、逆説的に面白い作品の条件を考えてみましょう。

みなさんは、映画を見て「これはつまらないな…」と残念な思いをしたことはありませんか?そしてその映画が実は、素晴らしい俳優とスタッフ、潤沢な予算によって作られたものだった…という経験はないでしょうか。なぜ、それほど恵まれた環境で作られた作品がつまらなくなってしまうのでしょうか?その大きな理由のひとつは、作り手の誰もが「作りたくて作っているわけではない」からです。たまたま予算があったから、業界のパワーバランスで特定の俳優を主演に据えたものを撮らなければならなかったから、たまたま映像化権を買えてしまったから…そういった理由で作られた作品が、残念ながら世の中にはままあります。そして、こういった作品には「語るべきもの」がありません。

映像作品とは、ほとんどの場合物語です。つまり、連続した画像と音によって何かを「語る」ことが目的です。ゆえに、語るべきもののない物語とはオチのない話、つまらない雑談です。何十分、何時間もそれに付き合わされるのが苦痛であることは容易に想像できるでしょう。逆に、低予算であったり有名な俳優が起用できなかったとしても、作り手に「ココを見てほしい!」という強い情熱があれば誰かの心には残ります。『レザボア・ドッグス(クエンティン・タランティーノ監督/1992)』や『リベリオン(カート・ウィマー監督/2002)』が好例でしょう。いずれも低予算で制作されたキャリア初期の作品ですが、確かな熱量が観客へ届き現在へと語り継がれています。何かを語りたいという作り手の情熱が、観客にとっての面白さに直結することが分かって頂けたと思います。

(2)作り手にとって最も大事なこと

では、今度は立場を変えて作り手のことを考えてみましょう。作り手にとって一番大事なこと…これも一概にまとめるのは難しそうです。ですが、どんな作品にも絶対に必要なものがあります。それは「観客」です。観る人がいなければ、作品は成り立ちません。となれば、ここは観客が最も重視していること――「面白い=作者の側に語りたいことがある作品」をどう作るかを考えてみましょう。

ひとくちに「語りたいこと」と言われても、そんな難しいことを考えて作品を作りたくないよ…という人もいらっしゃるでしょう。言い方を変えてみましょう。なぜ、あなたは作品を作りたいと思ったのでしょうか?これを読んでいらっしゃる方は、少なくとも映像作品を作ることに興味を持っているはずです。

現実の世界、実際の生活に100%心の底から満足している人に、創作は必要ありません。人が架空の世界やキャラクターを必要とするのは、多かれ少なかれ現実に満ち足りない部分があるからです。「こんな人がいてくれたらいいな」といったほんのりとした希望から、「こんな世界、ぶち壊してやりたい」といったどす黒い情熱まで…あるいは「こんなカッコいい映像が見たい」というストレートな欲求でも構いません。いずれにせよ、今この世界に、あなたの欲求を満たすものが存在しないから、ここではないどこかの世界を夢想するのです。その夢想こそが「語りたいこと」、すなわち制作者が物語に込める情熱です。ここでは、こういった作品の根幹にある情熱、初期衝動を「コンセプト」と呼びます。あなたが作品を作りたいと思った、小ぎれいにまとまっていないドロドロとした最初の理由――それこそがコンセプトです。

(3)強いコンセプトの見つけ方

観客と作り手、両方の視点から作品を考えることで見えてきた最も重要な要素は、どうやら「コンセプト」──つまり、作り手が何を求めてその作品を作ったか──のようです。そうはいっても、自分が欲しているものというのは案外自分ではわからないもの。でも、安心してください。良いコンセプトの見つけ方にはコツがあります。それは、「他人に対して一言で説明できるものを探す」ことです。

長ったらしい説明は趣旨がよくわからないのと同じように、一言で表せないコンセプトもまた、人の心を動かすには至らないことが多いです。それどころか、制作途中で自分も何が撮りたかったのかわからなくなり、頓挫してしまう一因にすらなります。ですが、一言で言い表せるコンセプトさえ見つかれば、常にやるべきことは明確です。迷ったらその度にコンセプトに立ち返ればよいのです。「カッコいいガンアクションを見せたい」「綺麗なお姉さんが見たい」…本当に何でも構いません。取り繕う必要もありません。むしろ、下品で原始的であるほど強いコンセプトになり得ます。あなたが映像を撮りたいと思った理由を、一言で表してみてください。それが、あなたの作品のコンセプトになります。

逆に、「作りたいものがわからない」という状態は危険信号です。漠然と映像制作に憧れたはよいが、自分が何を作りたいのかわからない…という時は、映像制作に踏み切るにはまだ早いでしょう。なぜ自分が映像を撮りたいのか、そのモチベーションの原点を良く観察してみてください。借り物でも構いません、本気になれるコンセプトを見つけてください。

(4)情熱は才能を超える

予算があっても情熱がなければ映画は失敗し、逆に自分だけの情熱=コンセプトを見つけられれば映画は作れる…考えてみれば当たり前のことですが、この事実はVRChatで映像を撮ろうと考える我々にとって大きな救いでもあります。筆者である私を含め、おそらくこれを読んでいる方はこれまで映像制作をしたことがない方、あるいは過去に何らかの理由で諦めてしまった方が多いでしょう。それは、才能勝負のクリエイティブの世界では大きなビハインドです。先達との気の遠くなるほどの差に、心が折れそうになることもあります。ですが、どれほど理論に基づいて正確に制作を進めても、それだけで人の心を動かすことはできません。翻って、物語を作る側に強烈な情熱があれば、予算の不利・経験の不利を全て突破して名作を生み出すこともできます。子供のつたない絵に涙する大人がいるように、情熱があれば時には才能の壁すらも覆すことができます。情熱の前に創作は平等なのです。

いま、あなたには情熱を傾けて語りたいコンセプト、テーマはあるでしょうか?もしあるなら、第一段階はクリアです。次回は、コンセプトを深掘りする方法についてお伝えしたいと思います。

おまけ:こりゃ悔しい!のコーナー

コラムの最後に、筆者が「こりゃ悔しい!」と感じた、まだ見ぬ名作VRChat映像作品をご紹介いたします。

第1回:『RECORD TAPE #1』(suz.監督/2023)

第2回VRCムービーアワードにエントリーされたショートホラー作品です。惜しくも受賞はなりませんでしたが、映像表現の工夫という点で図抜けていた作品でした。VRChatの映像作品は、ゲーム内の技術的な制約もあり、劇場公開クラスの一線級3DCGアニメと比べると常にビジュアルのチープさに悩まされます。それを解決する方法のひとつが視覚効果の活用ですが、本作はファウンドフッテージ風の加工でそれをカバーしています。同様のスタイルの作品は他にもありましたが、特に優れている作品でした。

ABOUT US
だめがね
2020年、VRChatを開始。VR空間での映像撮影に可能性を見出し、クリエイターチーム「カデシュ・プロジェクト」を結成。 同スタジオの代表を務める傍ら、デザイナーとしても活動する。映画監督としての代表作に『プロジェクト:エメス』『掌』、 アートディレクターとしての代表作にVRChatワールド『Tokyo Mood by BEAMS』がある。